ピザ職人の夜明け。
2011.06.23
isa80.JPG 4月某日。山本は中目黒のお店を離れ、日本橋三越本店でピザを焼いていた。知り合いからの紹介で、イタリア食材などを集めた「三越イタリアフェア」に出店していたからだ。このフェアには3年連続での出店となる。 isa83.JPG 初めてナポリを訪れたとき、文化と食は切っても切れない関係だと痛感した。ピザのための最高の技術、食材、環境を持っているのはナポリしかないと思う。 isa61.JPG isa77.JPG 環境というのは、今も昔もナポリは貧しい状況にあるということ。イタリアでもピザの本場がローマではなくナポリなのは、移民が多いなどの時代背景も影響している。 isa79.JPG イタリア旅行を終えて「ピザ職人になりたい」という想いが強まり、ピザ専門店「ピッツェリア・トラットリア ナプレ」に入店。その後、本場で勉強するため、ナポリへ単身修行へ。 isa81.JPG 働かせてもらったお店は「イル・ピッツァイオロ・デル・プレジデンテ」。現在、お店のトレードマークにしている師匠のお孫さんがなついてくれて、プライベートでもかわいがられた。 isa32.JPG 日本でもピザを焼いていたので、何年も下積みが必要なところを、トントン拍子で教われた。日本の作り方と全然違うところやイタリア人の器用さに驚いた。 isa50.JPG しばらくして師匠の勧めもあり、ナポリで行われたピザの世界大会に出場。評価するのは区長などナポリの重鎮たち。 isa52.JPG 生地のさばき方や焼き方、サーブの仕方など細かいところまで審査される。MVPの発表のときに「日本人の...」というコールがあり、見事チャンピオンに輝く。 isa44.JPG 印象的だったのは、拍手をしてくれる人もいれば、怒っている人もいたこと。「ピザはナポリのもの」というプライドは高く「日本人かよ!」というシビアな眼もあった。 isa28.JPG 修行を終えて帰国。当時、たくさんの人から好条件の独立話を持ち込まれ、成功する自信もあった。

しかしその時、師匠が病床にいることを聞き、最初にナポリを訪れたときのことを思い出す。過去の名声を忘れて初心に戻り、自分の力だけでスタートすることを決意した。 isa48.JPG 街の不動産屋で物件探しから開始。今のお店は改装前、畳屋だった。まったくもって料理店の仕様ではないし、無理だと思った。 isa49.JPG でも、中目黒はピザ屋の激戦区だし、山手通りの喧騒はナポリにどことなく似ている。そう思った瞬間、この場所に店を開くことを決めた。

お店はイメージはナポリのピッツェリア。床面のシートや壁のタイルも自分で貼った。店名はナポリで「hisanori」の「hisa」の「h」が発音されず、「isa」と呼ばれていたことに由来している。 isa45.JPG 道具や材料にもこだわりは強い。焼き窯やピザを乗せるヘラ、生地を寝かせる木箱も特注で作ったもの。小麦粉やチーズもナポリから取り寄せて使っている。 isa46.JPG ピザ作りで一番難しいのは生地作り。お店のどの場所で生地を作るかを決めるのに一ヵ月を要した。道路からの風、湿度、窯による乾燥などチェックポイントは多岐に渡った。 isa56.JPG 一番楽しいときは、お店に人があふれているとき。店の外に行列ができて、並んでいる人がわくわくした顔で待っていると、作っている方もノッてくる。 isa54.JPG 今後の夢は子供たちにピザの作り方を教える無料の教室を開くこと。文化は子供が作るものだと思うから。

そして今日も、生地の1つ1つに魂を込め、みんなが笑顔になるピザを焼く。 isa40.JPG
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